お正月休みが明けて、ようやく日常のリズムを取り戻せたと思ったいた矢先、子ども達が立て続けに風邪を引いて休んでいました。
具合が悪い時は、親も心配で真剣に看病するものですが、治りかけ、家で元気に休んでいるだけとなると、有り余った体力で兄弟喧嘩が活発化するものです。
室内では抑えきれなくなった子ども達のエネルギーが充満していて、くらくらしてきます。
親の方も、心配という緊張が解けると、とっ散らかった室内で元気に振る舞う我が子の姿に、我に返ります。
元気になったのは嬉しいですが、
「そんなに元気なら、ちゃんとやってもらいましょう」
と、いつもの母ちゃんスイッチがオンになるわけです。
病み上がりの子ども達を相手取った、看病疲れの母の『負け戦』の始まりです。
疲れた身体の母が、パワー全開な子ども達に、言う事を聞かせようと力んだ育児は、どうしても『恐怖政治』となります。
悲惨です。
その結果、疲労倍増です。
そんな数日を過ごし、本日ようやく日常が戻って参りました。
正直、ガッツポーズですよ。
余裕が戻ると、子ども達に言い過ぎたことや自分の言動への罪悪感に見舞われます。
やりすぎたかな。
でも、ちゃんと教えないと。躾けないと。
でも、さじ加減が分からない。
どうしたら言うことを聞くの?
躾ってどこまで?
悶々としながら何気なく友人に借りた本を読んでいると、こんな言葉が目に留りました。
躾とは、しつけ糸のしつけのこと。縫い上がれば外されるものです
しつけ糸程度って、仮縫いってことだよね?
そんなんで良かったの?
へなへなへな~と力が抜ける思いがしました。
私、最初から本縫いモード全開で子ども達と向き合ってきました。
親の言う事を聞かせようと躍起になってました。
それが、親子共々苦しい原因だったの?!
押さえるべきところだけ押さえて、後は本縫い(本人)に任せればいいわけね。
仮縫いなら不器用な私でも縫えるよ!
いきなり本縫いは緊張するし、ガチガチになるのは当たり前だよね。
しつけ糸なら、縫い直しもできるし、外すのも簡単だしね。
いきなり本縫い育児じゃ、子ども本人の入る余地がなかったよね。ごめんごめん。
罪悪感が抜け、ちょっと楽になりました。
「躾はしつけ糸、仮縫い仮縫い♪」
それくらいの気持ちで望めば、子どもの行動を強制しようと躍起になる程度を超えた『躾呪縛』から、親子共々解放されますね。
第一子って、なんでキツキツに育ててしまうのでしょう。
野放し的な育児がいいとは決して思いませんが、やり過ぎも親子共々辛いものがあります。
こうやって、試行錯誤しながら親になっていくのでしょうね。
今日はつらつらと心境を綴ってみました。