我が家のカブトムシは、11月に入ってもまだまだ元気です。
普通は8月のお盆を過ぎた頃が、カブトムシの寿命と聞きますが、
お盆を過ぎても、9月の台風を乗り越え、秋風が吹き、落ち葉の中、冬の気配が感じられる今でも、
相棒のクワガタと共に、変わらずピンピンしています。
長寿の秘訣は、定期的に近所の小学生と息子によって行われる、王道のこの戦いが、いい運動になっているせいでしょうか。
近所のスーパーでは、カブトムシの餌を見かけなくなりました。
まさか、ワンシーズンの間に3回も餌を買う事になるとは思ってもみませんでした。
実はこのカブトムシ君が我が家に来たのには、ちょっとしたエピソードがあるのです。
それは、今年の7月のこと。
近所の大好きなお兄ちゃんが幼虫から育てたカブトムシを直々にもらった息子は、大喜びで育て始めました。
すぐにカブトムシが大好きになり、小さな虫カゴの中では物足らず、いつもカゴの外に出して、胸に付けたり、頭に乗せたり、固いからだに頬ずりしたりと、、、親が引くほど溺愛していました。
そんなある日、悲劇は起こりました。
いつものように息子は胸にカブトムシをつけて遊んでいると、近所のお兄ちゃんを見つけて走り出してしまったのです。
その勢いにカブトムシが耐えきれず、胸から落ちてしまった瞬間、走っている息子の足の下にザクっと音を立てて、下敷きになってしまったのです。
キャアー!!!
悲鳴を上げたのは、私。
息子はすぐに、少し潰れてしまったカブトムシを拾い上げ、心配そうに見つめます。
そして、そのまま私のところへ走ってくると
「ママ持ってて!」
と潰れたカブトムシを私に差し出してきました。
・・・無理だ。
親が気持ち悪がってはいけない、怖がっちゃいけない、
そう頭では分かっていても、身体が反射的に逃げました。
「お願い止めて、こないで」
これは一体何の試練?!
逃げる私を追いかける息子。
ようやくカブトムシをカゴに戻して、動いて欲しいと祈るような気持ちでいると、息子が私にこう言いました。
「また買いに行こうね?カブトムシ」と。
まるで玩具が壊れた時と同じように、そう私に言いました。
ショックでした。
落ち込む私を元気づけるつもりだったのでしょう。
息子の中に、悪いことをしてしまったという罪悪感があることは、表情から見て取れます。
そのせいでママが落ち込んでいる。
だから、元気づけようと思って出た言葉がこれだったのです。
分かるけど、分かるけどね、でも、カブトムシは玩具じゃないんだよ。
どうしたら息子に、死を理解させることができるんだろう?
親として、こんな時どう行動すればいいのか、とっさには出てきません。
私は、息子と共にカブトムシのお墓を作りました。
たくさんの言葉より、黙ってそうすることの方が今は説得力がある気がしたのです。
それから息子は、あんなに大好きだったカブトムシのことを、全く話さなくなりました。
その日は、空になったカブトムシのカゴを玄関先に置いたまま、カブトムシだけが不在になった状態で、片付ける気にもなれず、一晩が過ぎました。
翌朝、昨日の出来事を引きずったまま、暗い気持ちで外に出ると、空になっているはずの虫かごの中に、黒く大きな何かが蠢いているが見えました。
「何か入ってる!?」
気付いた息子が、慣れた手つきで虫カゴを開けてみると、、、
そこにはなんと、大きな大きなカブトムシが入っていました!!!
?????
カブトムシが生き返って、自力で戻って来たのか?
そんな訳ないよね。
しかも、一回り大きくなっているし。
不思議がっていると、近所のママが教えてくれました。
「さっきゴミ収集の人がカブトムシを見つけて、ちょうど虫かごがあったから、そこから逃げたのかと勘違いして、中に入れていったのよー」と。
すごーい!!
このタイミングで!!
まるで昨日の行いが、神様に許されたような気がしました。
私と息子に、セカンドチャンスが与えられた、そんな気分でした。
昨日入れたままのゼリーを、新入りのカブトムシは我が物顔で頬張っています。
息子が目を輝かせて大喜びしたのは言うまでもありません。
それからというもの、私と息子は先代のカブトムシへの懺悔の意味も込めて、せっせとカブトムシの世話を続けています。(パパも。笑)
夫は、毎日ゼリーの残量を心配しカブトムシに声をかける私を過保護だと、半ば呆れてはいますが、生き物の生と死を、小さなカブトムシを通して息子に感じさせることができれば本望なのです。
以来、4ヶ月以上生きている我が家のカブトムシ。
このままクワガタ君と冬も越してくれたら嬉しいなと、寒い外での飼育は止めて、今は家の中で育てています。
ここまで来たら、どこまでも過保護に行きますよ(笑)